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宮本信子の息子(長男・次男)や夫は?年齢や若い頃の画像も!

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2018年2月5日(月)のテレビ朝日・徹子の部屋は宮本信子です。

宮本信子は、朝ドラの「あまちゃん」の祖母・夏ばっば役や
「ひよっこ」の洋食屋「すずふり亭」の女将役で再ブレイクして
いますね。

若い頃は、20年前に亡くなった夫で映画監督の伊丹十三監督の作品
である、映画『お葬式』や『マルサの女』で一世を風靡した大女優
です。

2014年には学問や芸術、スポーツなどで功績を残した人に贈られる
紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章しています。

そんな宮本信子が、徹子の部屋で、ご主人や息子さんの思い出話を
するというのです。

ご夫婦のことは有名ですが、息子さんのことは全然知りませんので
まずは息子さんたち、ご主人、宮本信子の順に調査します。

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◆宮本信子夫婦の長男・池内万作について

❖池内万作の画像と声

池内万作の画像を探していたら、本の朗読を発見。
何冊も朗読しています。

画像が見れて、声も聞けます。

✱池内万作、芝村裕吏『猟犬の旗』を読む


池内万作が朗読している本はこちら⇒【新品】【本】猟犬の旗 芝村裕吏/著

他の作品も「池内万作 読む You Tube」で検索すると出ます。

❖池内万作(いけうち まんさく)のプロフィール

池内 万作は、東京都出身の俳優である。
血液型はO型。身長180cm、体重67kg。
父は伊丹十三、母は宮本信子。
祖父は伊丹万作。大江健三郎は叔父。
東宝芸能所属。

本名: 池内 万作
生年月日: 1972年3月27日 (45歳)
生まれ: 東京都
配偶者: 本田みちよ
兄弟姉妹: 池内 万平

主な作品:テレビ『こちら本池上署』シリーズ、
映画:『犬神家の一族』

(抜粋:ウィキペディア池内万作より)

❖池内万作のエピソード

プロフィールにはありませんでしたが、池内万作さんは
和光学園高校2年生の時(1989年16歳)にアメリカの高校
(ペディースクール)へ編入留学しています。

1991年に卒業後1992年にロンドンへ渡り、3年間演技と脚本
を学んで帰国。

1995年に映画『君を忘れないで』で俳優デビューしています。

その後はドラマや映画を中心に活動。代表作が多数あります。
最近ではコラムの連載、朗読や音楽番組の配信など、多方面
で活動中です。

自身のホームページでもユーモアがあふれ、サービス精神
旺盛な才能を発揮しているそうです。
(参考:東宝芸能オフィシャルサイト)

ユーモアと言えば

池内万作さんは、アウトデラックスで裸足(はだし)で走る俳優
と紹介された通り、裸足で走るのが好きなようです。

筆者の息子も裸足が好きで、小学校時代、上履きをはかずに教室
内を走り回っていました。

それを見た担任の女の先生から「息子さんが裸足で歩き回るので
上履きを学校に持って来て下さい。ケガをすると大変ですから」
と電話がきました。

「少し位ケガをしてもいいですから、構わなくていいですよ」
と答えると、それ以来電話は来なかったですね。

でも高学年になった頃から上履きを履くようになりましたよ。

池内万作さんもユニークな息子さんのようです。

そんな池内万作さんが2016年に、WEB音楽番組「MUSIC SHARE」の
代表の本田みちよさんと結婚なさっていますが、奥様もきっと
ユニークな方じゃないかと思われます。

◆宮本信子夫婦の次男・池内万平について

長男の池内万作の万作は、父方の祖父・伊丹万作(本名池内義豊)
の芸名の万作を採ったと思われます(やはりそうでした)。

次男の池内万平(いけうち まんぺい)は、万作の作を平にしたのでしょうか。

伊丹万作は「無法松の一生」の脚本で有名な作家であり挿絵家や
映画監督でもある偉大な人だったそうです。

伊丹十三は父親の伊丹万作を尊敬していて万作の名前を長男に
付けたのではないでしょうか。

それにしては次男の名付けは安直な気もしますが。

ノーベル文学賞受賞作家である叔父の大江健三郎の名前をとって
も良かったのでしょうが、偉大すぎたのかもしれませんね。

それにしても池内家(伊丹家)はすごいですね。

❖池内万平のプロフィール

池内万平さんは以前は俳優として、父・伊丹十三(いたみ
じゅうぞう)監督の映画に出演していました。

・1984年 「お葬式」次郎役

・1985年「タンポポ」ターボー役

しかし、「タンポポ」の撮影の時、 助監督に 怒鳴られすぎた
のが原因らしく、 芸能界に興味がなくなったらしいです。

でもお父さんの伊丹十三は俳優を怒鳴ることなどなかったそう
ですから、本当に俳優になりたければ、監督に怒鳴られたの
ではないのですから、耐えられると思うのですが。

あまり俳優には興味がなかったのだと思われます。

現在は、伊丹プロダクションの代表取締役として伊丹十三記念館
・館長の宮本信子さんを助けています。

俳優よりは、そちらの方が向いているのでしょう。

今は一般人になったせいか、池内万平の詳しいプロフィールは
ウィキペディアには出ていませんね。

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◆宮本信子の夫・伊丹十三について

❖伊丹十三(いたみ じゅうぞう)の画像

❖伊丹十三のプロフィール

伊丹 十三は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、
商業デザイナー、イラストレーター、CMクリエイター、
ドキュメンタリー映像作家。

戸籍名は池内 義弘だが、家庭では岳彦と呼ばれて育った
ため、本名・池内岳彦とされる場合もある。

映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。
長男は池内万作。次男は池内万平。

本名:池内 義弘(よしひろ)または 池内岳彦(たけひこ)
生年月日: 1933年5月15日
生まれ: 京都府 右京区鳴滝泉谷町
死亡: 1997年12月20日(64歳没)、東京都港区 麻布台
配偶者: 宮本 信子 (1969年 – 1997年)、 川喜多 和子 (1960年 – 1966年)
子供: 池内 万作、 池内 万平

主な作品:映画『お葬式』『マルサの女』シリーズ
『ミンボーの女』『スーパーの女』『マルタイの女』

受賞:ブルーリボン監督賞 1984年『お葬式』

(抜粋:ウィキペディア伊丹十三より)

❖伊丹十三のエピソード

伊丹十三の本名が2つあるのはどうしてなのか不思議に思い
調べてみました。

すると、池内家は代々、男子の名前に「義」を入れるのが習わし
だったので、伊丹十三の祖父の強い意向で、義弘と命名された
のですが。

父の伊丹万作(本名 池内義豊)は岳彦と命名する予定だった
ので、家庭では「岳彦」「岳ちゃん」と呼ばれていたのだ
そうです。

さすが、変わった人々で成り立っている池内家です。
こういう家庭から、偉大な人物は現れるのですね。

❖伊丹十三と宮本信子のエピソード

伊丹十三と宮本信子の馴れ初めは、映画「日本春歌考」
での共演でした。よくあることですね。

しかも、プロフィールにもあるように伊丹十三はその時
すでに川喜多和子と結婚していました。
紹介されての結婚だったそうです。

なので、離婚して宮本信子と再婚したのです。
大変なスキャンダルだったでしょうね。

伊丹十三は宮本信子の才能を高くかっていて

「妻はいい女優なのに、なかなか主役の話が来ない。
ならば彼女を主役にした映画を自分で撮ってしまえば良い」
と語り、俳優やデザイナーだった伊丹十三は、妻のために
映画監督に転身したとのうわさです。

実際伊丹十三監督は、女シリーズなどで宮本信子を主役にした
映画をたくさん制作、自分の制作する映画にはすべて
宮本信子を出演させています。

伊丹十三は1997年にビルから飛び降りて自殺したことになって
いますが、殺されたといううわさもあり、真実はわかって
いません。残念でした。

✱伊丹十三の詳細はこちら⇒伊丹十三という人物(伊丹十三記念館)

◆宮本信子の年齢と若い頃の画像

❖宮本信子の年齢は

宮本信子の年齢は2018年2月4日現在72歳です

宮本信子の年齢を調べたついでにプロフィール
も書いておきますね。

❖宮本信子のプロフィール

宮本 信子は、日本の女優、歌手。北海道小樽市生まれ、
愛知県名古屋市育ち。愛知淑徳高等学校卒業。

夫は伊丹十三。長男は池内万作。所属事務所は東宝芸能
(1990年から)。

本名:池内信子(旧姓:宮本)
生年月日: 1945年3月27日 (72歳)
生まれ: 北海道 小樽市
身長: 157 cm
配偶者: 伊丹 十三 (1969年 – 1997年)
子供: 池内 万作(長男) 池内万平(次男)

(抜粋:ウィキペディア宮本信子より)

❖宮本信子のエピソード

1963年、名古屋市の愛知淑徳高等学校を卒業後、上京。

文学座附属演劇研究所に入所。

父の従兄弟(いとこ)で俳優の千秋実さんの付き人を
しながら演劇の勉強をしたのだそうです。

そのとき、黒柳徹子さんも同じ文学座で学んでいて、
宮本信子さんは12歳年上の黒柳徹子さんが大人の
女性として輝いているのを見てあこがれていたそうです。

徹子の部屋では、文学座当時の2人の写真が紹介される
そうです。 50年ぐらい前の若い時の写真ですね。

❖宮本信子の若い時の画像

女優魂 vol.20 宮本信子 朝ドラ「ひよっこ」で人気 YouTube
宮本信子のくわしいプロフィールも出ています。若いころから美人でしたね。


✱宮本信子の出演映画
マルサの女 [Blu-ray] / 邦画
マルサの女 2 [Blu-ray] / 邦画

◆まとめ

徹子の部屋に出演する宮本信子の息子たちや夫、宮本信子の若い時
の画像などについて調査しました。

それにしても池内家はすごい人々の集団であることがわかり
驚きました。

伊丹十三もまだまだ奥さんの宮本信子さんと一緒にすばらしい
作品が作れたのにと思うと残念です。

オシドリ夫婦だったので、伊丹十三が亡くなったのは宮本信子
さんにはとてもショックで、数年の間映画を見ることができな
かったそうです。

立ち直れたのは2人の息子さんがいたからでしょう。
息子さんたちと一緒に、まだまだ女優を頑張って欲しいです。

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2 件のコメント

    • ご指摘ありがとうございました。写真は削除しました。
      しばらく、更新していませんでしたので、お返事が遅れてすみませんでした。

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