最近菊池桃子がストーカーにあって大変だったことがニュースになりましたね。
その時、そう言えば菊池桃子というアイドルがいたけど今は何をしているのだろうと思いました。
そのうち、4月14日(2018年)のサワコの朝に菊池桃子が出演することがわかり、
なんと法政大学の大学院に入学・卒業して母校の大学の客員教授になっているというのです。
どうして大学院に入学して、何を学び、何を教えているのか気になり
調べてみました。
目次
◆菊池桃子が大学院に入学した理由は娘さんのため
人気アイドルだった菊池桃子は、五月みどりの息子でプロゴルファー
の西川哲と結婚(1995年5月)して翌年には長男を、2001年には長女を出産
しました。
二人の子供の間には障害を持つ可能性のあった子供の死産も経験して
いたといいます。
長男は元気な子で身体も大きく健康優良児に育ちましたが、長女は乳児期に
脳梗塞をわずらい、左手足に軽い麻痺が残りました。
幼い長女に障害が残ることを知った菊池桃子は、死産した子供について
病気を持った子が生まれても、お母さんとして戦おうと考えていたので
「すぐ気持ちを切り替えて、私がサポートしていこう。お母さんが泣いてる
場合じゃない」と、長女をサポートする前向きな気持ちを持つことができたそうです。
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❖娘さんの小学校について
脳梗塞と言っても、子供の場合はリハビリでかなり改善し、知的障害はなく
娘さんは歩くこともできるようになり順調に成長して有名市立小学校に通って
いました。
それでも、身体障害のために通常の学校教育に支障をきたし、菊池桃子は娘さんを
転校させることにしました。
しかし、ここで菊池桃子は、障害をもった子の教育相談にのってくれる場所が
あまりに少なく、専門家もいなくて学校探しに非常に苦労したのです。
なんとか肢体不自由児の特別支援学校がみつかり転校できたのでした。
❖娘さんの中学校について
中学受験では多くの私立中学の受験資格の中に、「心身ともに健全な者」と
いう項目があり、受験資格も与えてもらえないことに、菊池桃子は、疑問や
悲しみ、怒りを覚えたようです。
それでも受け入れてくれた中学校があり、元気に中学生になることができました。
うわさでは、菊池桃子のブログにのっている娘さんの制服姿の写真から
跡見学園中学校ではないかと言われています。
❖菊池桃子が大学院で学ぼうと思ったきっかけ
障害を自覚した娘さんに「私はどんな職業につけるの?」「どこまで夢を持っていいの?」
と問いかけられたとき、とてもつらかったけれど、
そんな娘の人生を守りたいと思ったのが大学院で学ぼうと思ったきっかけだったそうです。
障害児教育の現実を知った菊池桃子は、長女のために色々調べたことが、いつしか
学びになったことを実感し、疑問や矛盾を解決するために大学院進学への受験勉強を
開始したのです。
◆菊池桃子が学んだ学部は?
娘さんの人生を守るために菊池桃子が選んだ学部は法政大学大学院政策創造専攻修士課程です。
ちょっと長いですが、簡単にすると、政策創造を専門に研究・勉強する学部ですね。
政策創造学部とは、
多様な学問領域を横断的に習得し、それにより現代社会における諸問題を発見し、
その解決の政策を立案し実行・実現できる人材を育成するための学部である。
とウィキペディアに記載されています。
政策創造学部は日本には関西大学と法政大学大学院の2校しかありません。
菊池桃子は障害児福祉にたいする諸問題を発見し、その解決のための政策を立案し、実行・実現できる人材になることを目指したのですね。
それはご自分の娘さんだけでなく、障害をもつすべての子供たちのためだと思われます。
菊池桃子は40歳で大学院に進学すると、3年で修士課程を修了し現在は母校の戸坂女子短期大学で客員教授を務めています。
◆客員教授で何を教えているの?
長く芸能活動と家庭を両立し続けてきた女性として、学生に対して
「これからの時代の女性のキャリア」について考える機会を与える講義をしているのです。
ゼミ形式で学生とディスカッションもしています。
このごろ感じるのは、「知らなかったことを知ることすべてが学び」だということだそうです。
菊池桃子はそれまでの研究などが評価され、2015年10月には1億総活躍国民会議の民間議員にも選出されました。
障害者の雇用などについても力を尽くしてくれることでしょう。大いに期待したいですね。
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