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樫尾和雄(カシオ計算機会長)の経歴や功績は?4兄弟の役割分担は?

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世界的に有名なカシオ計算機株式会社の会長・樫尾和雄さんが昨日
(2018年6月19日)誤嚥性肺炎のために亡くなりました。89歳でした。

カシオ計算機と言えば、電卓や電子辞書、時計やデジタルカメラなど
のメーカーで筆者もよく購入して使用したものでした。

カシオの4人兄弟と、亡くなった樫尾和雄さんがやり手で長く社長を
務めたことは有名でしたが、詳しいことは知りませんでした。

これを機会に樫尾和雄さんの経歴や功績、カシオ4兄弟がどんな
役割分担をしてカシオ計算機株式会社が世界のカシオに発展したのか
について調べてみました。




◆樫尾和雄(カシオ計算機会長)のプロフィールと経歴

樫尾和雄の画像(引用元:カシオ計算機)

氏名   樫尾 和雄(かしお かずお)
生年月日 1929(昭和4)年1月9日
逝去日時 2018(平成30)年6月18日 午後11時35分(享年89歳)
出身地  東京都
学歴   日本大学高等師範部英語科(1949年3月卒業)

引用元:カシオ計算機株式会社ホームページ

樫尾和雄さんは樫尾4兄弟(忠雄/俊雄/和雄/幸雄)の三男です。

日本大学高等師範部(現文理学部)英語科を卒業後、長男の
故・樫尾忠雄氏が経営していた工作機械工場「樫尾製作所」
(創業1946年)に入社。

1957年に兄弟4人でカシオ計算機を設立しました。

兄弟の頼みで、初代社長は父親の樫尾茂氏、二代目は長男の忠雄氏
三代目が和雄さんでした。

和雄さんは長男の忠雄氏とはひとまわり(12歳)も年下です。

樫尾和雄さんは1988年12月から2015年6月まで、27年、四半世紀以上
にわたり社長を務めました。

2015年6月に社長を長男の和宏氏に譲った後も、会長兼最高経営
責任者(CEO)として経営に関わっていました。

創業の時から営業一筋で、その経験から商品開発を最も重視し
「商品開発こそメーカーの経営。商品が分からない人間にはカシオ
のトップは務まらない」が口癖だったそうです。

◆樫尾和雄さんの功績

1972年に発売した世界初の一般消費者向け電卓「カシオミニ」の
企画を手掛け、それまで会社の事務機器だった計算機が一般家庭
に普及するきっかけを作りました。

※カシオ計算機の「カシオミニ」のおかげで本当に計算が楽に
なりました。

樹脂製の腕時計にもいち早く目を付け、米国や日本で人気になった
耐衝撃腕時計腕時計「G-SHOCK」の開発を開始しました。

そして1988年に社長に就任すると、1983年に発売したものの、販売
が伸び悩んでいた腕時計「Gショック」の営業をてこ入れします。

その結果、腕時計「Gショック」は国内のみならず、米国などでも
爆発的に売れ始めてカシオ計算機の主力商品に育ちました。

1995年にはデジタルカメラ「QV-10」を商品化して、現在の画像
コミュニケーション時代の基礎を築きました。

独自の感性を発揮して新市場創造型の商品企画を主導し、人々の暮
らしに役立つ商品づくりに情熱を注いだ人でした。

そのようにして、先代社長(忠雄)が築いた礎を進化させて現在の
カシオ計算機株式会社を築き上げた功績は非常に大きいと
思われます。

これらの功績により、和雄さんは1994年 4月29日 藍綬褒章を受章
しています。

◆樫尾4兄弟の役割分担

兄弟4人だからこそ成し遂げられたカシオ計算機株式会社だと
言われています。

それぞれの役割分担はどうだったのでしょう。

長男忠雄:
樫尾製作所を創業。
鍋や釜、自転車の発電ランプなどを作っていた。

カシオ計算機設立後は、主に会社経営の仕事を担当。

次男俊雄:
俊雄は技術者として逓信省東京逓信局(現在のNTT)に勤め、
電信施設の敷設や整備をしていた。

豊富な電気の知識を備えた俊雄は自分の才能を試してみたいと
考え、仕事を辞めて樫尾製作所に加わる。

カシオ計算機設立後は、電気計算機の発明や時計、カメラの開発
等の電気や機械の技術面に関わる。

三男和雄:
和雄は営業と商品企画を主導。社長時代は経営も。
商品のアイデアを企画し、次男俊雄に商品を制作してもらう。

四男幸雄:
次男の俊雄と一緒に技術面で製品制作に携わる。

※なんというすばらしい組み合わせでしょう。
神様が与えてくれたような会社ですね。

それぞれが自分の才能を生かして会社や世の中に貢献して会社が
成長していくなんて、理想ですね。

なかなか理想通りにはいかないものですが。

◆まとめ

2018年6月19日に誤嚥性肺炎で亡くなった、カシオ計算機株式会社
の会長鹿島和雄さんについて、書きました。

うわさ通り、営業肌でかなりのやり手だったことがわかりました。

なによりもスゴイのは、次々と新しい商品を企画主導するアイデア
力ですね。

そして、それに欠かせないのが、その企画を実現して商品化する
知識と技術力を持ち合わせていた次男の俊雄氏と、それを助ける
四男の幸雄氏です。

経営者だった長男の忠雄氏も技術者でしたから、四人兄弟が協力
し合ってあのカシオ計算機ができたことに感動しました。

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