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一力遼の中学校は?家族はどんな人?賞金ランキング2位の年収とは?

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定年退職した夫の趣味が囲碁でして、毎日曜日にNHKのEテレで、12時から囲碁番組の「囲碁フォーカス」や囲碁トーナメントを必ず見ています。

それで筆者は囲碁のことはあまりわからないながらも、一力遼という若手のすごい棋士がいることは聞いていました。

その一力遼さんが今度の情熱大陸(2018年4月29日)に出演するというので急に気になって調べることにしました。

なんでも13歳(中学1年生)でプロになったという天才一力遼さんの出身中学校や、高校・大学、両親や祖父・兄弟などの家族、現在賞金ランキング2位という年収について、一力遼さんのプロフィールや歩みとともに調べてみます。

まずは簡単なプロフィールから。

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◆一力遼のプロフィールと画像

❖一力遼の簡単なプロフィール

名前:一力遼(いちりき りょう)
生年月日:1997年6月10日(20歳)
プロ入り年:2010年
出身地:宮城県 仙台市
所属:日本棋院東京本院
師匠:宋光復(そう こうふく)
段位:八段(2018年4月29日現在)
ウィキペディア一力遼より抜粋

❖一力遼の画像動画

囲碁棋士の一力遼さん、井山裕太七冠や自身の将来について語る

国民栄誉賞を受賞した七冠王の井山裕太氏に2018年1月完敗して
一力遼さんはひと目もかまわず悔し涙を流したそうです。

現在はスランプでなかなか井山氏に勝てないようですが、一度は勝った
ことがあるのですから、頑張って欲しいですね。

◆一力遼の歩み・小学生まで

一力遼さんは 5歳の時、お父さん(一力雅彦)とのオセロゲームを手始めに囲碁のてほどきを受け、
あっというまに囲碁好きの祖父(一力一夫)を負かすようになりました。

それで囲碁にのめりこんだ一力遼さんは、仙台市内の道場に通い、
河北少年少女囲碁大会などで何度も優勝するようになります。

小学2年の時、指導に来ていた宋光復九段に認められ、日本棋院の「院生」となり、
仙台市立片平丁小学校に通学しながら、週末には上京して1日8時間も対局したとのこと。

毎週、仙台から東京に通うのは結構大変だったことでしょうに、そのころは「夢中だった、
やるほどに面白くて奥が深く、負けると悔しくてよく泣いた」と振り返っていました。

大人になった今でも悔し涙を流す一力遼さんです。
悔し涙を流すくらいでないと強くならないようですね。

この時の指導者であった宋光復(そう こうふく)氏が今の師匠なんです。

小学5年生の時「もっと碁を学びたい」と転校して母と共に都内に転居します。
どこの小学校かは不明です。多分日本棋院の近くだと思われます。

◆一力遼の歩み・中学生以降

❖中学1年でプロ棋士に

2010年4月、一力遼さんは中高一貫教育の東京都立白鷗(白鴎)高等学校附属中学校に入学します。

〒111-0041東京都台東区元浅草3-12-12(TEL 03-5830-1731)にある偏差値・男子57,女子59の普通より少し上の中学高校です。

全寮生なので、自立心も養われたのではないでしょうか。
共学なので、初恋の体験もあったかもしれませんが、学業と囲碁の勉強でお付き合いする余裕はなかったと思われます。

そして中学1年生の時、日本棋院の夏季棋士採用試験で一力遼さんは総合成績1位で囲碁のプロ棋士に合格しました。それ以前に数回不合格も経験しています。

それでも、中学1年のプロ棋士は現役男子最年少で、仙台出身のプロは初めてとのことでした。

そして、同じ中学1年の9月1日には初段、中学3年で二段を獲得しています。

参考文献:かわらばんNIPPON(2011.01.01)その他。

❖高校1年でプロ三段に昇格

高校1年(2013年)
1月にプロ三段に昇格すると、5月には第4回おかげ杯で優勝、9月には趙治勲と井山裕太の18歳を抜いて、
十段戦本戦入りの最年少記録(16歳3か月)を打ち立てます。

さらに11月には第8回若鯉戦で初優勝と快進撃を続けます。

高校2年
1月に四段昇格、3月に 第39回棋聖戦リーグ入りを果たし、規定により七段昇段。
いきなり四段から七段に昇格とはすごいですね。

これは井山裕太の17歳10カ月を抜き、三大リーグ入りの最年少記録(16歳9カ月)になりました。

5月には、第1回グロービス杯世界囲碁U-20において国際棋戦優勝、第5回おかげ杯連覇。
9月には第39期新人王戦で優勝17歳3カ月で史上最年少新人王。

高校3年
10月第17回農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦の第1-3戦で、3連勝を達成。この年、賞金ランキング9位。

❖早稲田大学に入学

中高一貫教育の東京都立白鷗(白鴎)高等学校を卒業すると一力遼さんは、早稲田大学社会科学部に入学します。

大学1年(2016年)
9月、第26期竜星戦の決勝で井山裕太を下し、優勝。ここで井山裕太に勝っています。
この年は、棋道賞最多勝・最多対局賞受賞。賞金ランキングで自己最高の3位獲得。

大学2年
11月、三大タイトルの挑戦権獲得にて規定により八段に昇段。
しかし、20日、王座戦挑戦手合で井山裕太王座(七冠)に3連敗し敗退。
24日、天元戦挑戦手合で井山裕太天元(七冠)に3連敗。

大学3年(2018年)
棋聖戦挑戦手合で井山裕太棋聖(七冠)に4連敗。
これで昨年から王座戦・天元戦・棋聖戦と続いた対井山との挑戦手合は10連敗と完敗。

スランプとはいえ、これでは悔し涙もでますねえ。

いままでが凄すぎたのだと思います。少しゆっくりしたらどうでしょう。

下記は一力遼さんらの著書で人工頭脳との囲碁対局について書かれています。

アマゾンはこちら⇒アルファ碁は何を考えていたのか? ~トップ棋士3人による徹底解剖~ (囲碁人ブックス)
アルファ碁とは、人工知能の研究を続けるグーグルの系列会社「グーグル・ディープマインド」社が開発した人工知能囲碁プログラムです。

◆一力遼の家族について

一力遼さんのお父さんは、株式会社河北新報社(かほくしんぽうしゃ)代表取締役社長の一力雅彦、

祖父は元河北新報社社主の一力一夫、曽祖父は河北新報社創業者である一力健治郎の次男一力次郎
で、代々河北新報社を引き継ぐ実業家ジャーナリスト一家だったのです。

株式会社河北新報社は、創業1897年の仙台市に本社がある新聞社で、東北地方のブロック紙である河北新報を発行、
新聞事業以外にも、スポーツ・文化事業や出版事業も行っている会社です。

一力遼さんは一力一家の御曹司で、一人っ子なのです。

将来は家業を継がなければならないので、早稲田大学に入学したとウィキペディアには書かれています。
両親は囲碁をやるのも将来役に立つと思っておられるのでしょうか。

しかし、一力遼さんがスランプに陥っている原因の一つは、将来河北新報社を継がなければならないことかも知れませんね。

それで、囲碁に集中できないのかも。

◆賞金ランキング2位の年収とは

お金持ちの御曹司ですが、囲碁の賞金ランキング2位の年収はどれぐらいなのか、気になり調べてみました。

年収は日本棋院から出る固定給と新聞社などのスポンサーが主催する大会の成績で出る賞金をあわせた額になります。

一力遼八段が2017年度に獲得した賞金対局料は2523万円。

固定給がはっきりしないのですが、意外に少ないそうなので、普通のサラリーマンの平均年収(2017年)418万円と同じとみて

2523万円+418万円=2941万円 ですから、約3000万円でしょうか。

大学生で3000万円は多いですが、プロ野球の一流選手に比べたらずいぶん少ない感じですね。

七冠王の井山裕太九段でさえ約1億6千万円の賞金+給料です。

年収で考えたら一力遼さんは家業の河北新報社を継いだ方が良さそうですが、
人生やりたいことをやったほうがいいですよね。

◆まとめ

一力遼さんについて、ついつい全部調べてしまいました。

天才と思えるような歩みですが、一力一家の御曹司に生まれたばかりに心の奥にひっかかるものがあるように思えます。

大谷翔平ではないですが、二刀流をやってみてはいかがでしょう。

楽しみですね。

関連記事は下です。

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