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中村利江・出前館社長の経歴や資産は?夫との結婚や息子についても!

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新型コロナウイルスの感染者を減らすため、
小池百合子東京都知事がステイホーム(お家に居てください)
と連日叫んでいるせいもあり

レストランなどの外食産業の不況が深刻ですね。

そのため、お家までレストランの食事などを出前してくれる
フードデリバリーサービスが急成長しています。

その中でも、日本初で全国2万軒以上の店舗からの配達の
中継ぎを引き受けている、


日本最大の出前代行ビジネスのフロンティア企業
「出前館」が話題になっています。

出前館の社長は女性で、しかも、売上月2万円、
負債2億8000万円で倒産寸前の会社を引き継いで
大阪証券取引所の上場企業に成長させたというのです。

そんな中村利江社長はどんな人なのか興味が湧き調べてみました。

◆中村利江(なかむら りえ)社長の経歴は?

❖出生から高岡高校卒業まで

1964年12月16日生まれ 富山県高岡市出身
高岡高校卒業

父親が事業をやっていて、経済的には裕福だが
お金に関してはシビアな両親に育てられ、

中学時代は表面的にはいい子の優等生でした。


生徒会活動が楽しくて、色々なイベントを立ち上げる
のが面白かったそうです。

すでに社長になる片鱗が見えてますね。

高岡高校は進学校で、周りは勉強ばかりしているので
つまらないから、数少ないバレーボール部に打ち込んだ
と言います。

勉強はあまり好きじゃないのでしょうか。

❖関西大学文学部卒業まで

大学在学中から起業家の才能の芽は出始めていたようです。

大学時代、いつも授業に遅刻する男子学生が
「女の子が可愛い声で起こしてくれたら遅刻しないのに」と
ぼやいていたのがヒントとなり、


女子学生を集めて、資本金ゼロでモーニングコール事業を
立ち上げたのです。

その活動は当時の朝日新聞「天声人語」で紹介されたほど。

天下の朝日新聞のしかも「天声人語」に取り上げられる
なんて、すごいことですね。

発想が面白いです。お金をもらってモーニングコールを
してあげるなんて、普通じゃ思い付かないでしょう。


この事業が中村社長のビジネスのルーツになったのでした。

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❖1988年3月関西大学卒業後リクルートに就職

大学在学中からアルバイトとして情報誌の編集部でほぼ
毎日働いていたリクルートという会社にそのまま就職。

リクルートと言えば、今では転職決定数No.1の人気サイト
ですね。

モーニングコール事業とリクルートのアルバイトで、
4年間を通して大学にはほとんど行った記憶がないそうです。

文系の人にはよくそういう人がいますが、
それでも卒業できるんですね。
アルバイトの経験の方が社会に出て、役に立つのかも知れません。

リクルートでは、月刊ハウジング事業部に配属され、
入社1年目でトップセールスとなり、新人賞を飛び越えて
MVP賞『最優秀営業マン賞』を受賞。

やはり、ただものではありません。

❖1990年リクルートを退社インテリアの仕事に

リクルートに入社後2年で退社したのは、
結婚と出産がきっかけでした。

「当時は子供ができたら会社をやめるのが当然
という風潮」

だったそうです。

それもあったでしょうが、
大学生時代からアルバイトをしており、
『最優秀営業マン賞』を受賞したことにより
他のことをしたかったこともあるでしょう。

出産後、自分で育児をしながらできる
インテリアコーディネーターの仕事を選びます。
これは資格試験がありますが、中村利江社長にとって
はそれほど難しい試験ではないと思われます。

通信教育で学ぶこともできます。(ユウキャンなど)

インテリアコーディネーターは
住宅や店舗、オフィス、公共施設などのインテリアを、
依頼主の希望に合わせて、家具、照明、壁紙、カーテンなど
を選び、その場の雰囲気に合う快適な空間を生み出すように
アドバイスをする仕事です。

自由に働くことができ、ふつうの年収は500万円程度との
こと。

育児をしながらできる仕事としては素晴らしい仕事だと
思われます。
将来会社を作ったりすることも考えての選択もあった
のでしょう。

なにしろ、仕事をしていないと落ち着かないのだそうです。
根っからの仕事好きですね。

❖1998年4月ハークスレイ(ほっかほっか亭本部)入社

息子さんが保育園に入った頃に、ほっかほっか亭を運営
するハークスレイに入社しましたとあります。

出産後7年経っていますから、保育園ではなくて、もう
小学生だと思いますが、はっきりわかりません。

ハークスレイに入社後、会社の制服を着たくないという
面白い理由で、管理職を目指します。

管理職は制服を着なくてもいいんですね。

目標を決めると必ず実行する性格らしいです。

販売を促進するためのチラシの費用を大幅に減らしたりして
入社6ヶ月後にマーケティング部門の管理職に昇進。

なんとわずか半年ですよ。信じられないぐらい速い出世です。

さらに、料理や飲み物を指定された場所へデリバリーして、
そこの会場でのパーティーをセッティングするという

ケータリング事業の立ち上げなども行いました。

❖夢の街創造委員会(現・出前館)の社長に

2001年プランニング会社、キトプランニングを設立して独立。
代表取締役に就任。

同年、ハークスレイ時代、ケータリング事業で取引のあった
出前館を運営する夢の街創造委員会の外部コンサルタント
として同社のマーケティングを担当。

2002年、コンサルをしていた夢の街創造委員会の創業者から
代表取締役社長を依頼される。

売上月2万円、負債2億8000万円で倒産寸前の
夢の街創造委員会(現・出前館)の社長ですから、
周りからは反対され、本人も3日間迷ったそうですが。


加盟店への出前注文を一手に請け負う「出前館」は
加盟店にとってはコスト削減になり、利用者にとっては
多くの店から自由に選んで注文ができるという
ビジネスモデルで、これは面白いし、これからきっと伸びる
チャンスだと思って引き受けたのでした。

赤字会社の経営をチャンスと捉えて引き受けるなんて
凡人にはとても信じられないですね。

最初は社長の給料は従業員より少ない月10万円で
しゃかりきに働いたのでした。

社長になってまず改善したのは出前の発注システムです。

当初、「出前館」は加盟店舗へメールで出前注文を
送っていたのですが、昔ながらの中華店やそば店などは
ネット環境が整っていないので、メールに気づきにく
かったのです。


そこで、出前注文をFAXと電話を利用して店舗に伝える
ことによりすぐに注文に応じることができるようにしたのです。

さらに、顧客至上主義を浸透させ組織やサービスの仕組みを改善して、
2005年に同社は黒字化、2006年8月には大阪証券取引所に上場
するまでになりました。

わずか3年で黒字にするなんて、すごいとしか言えません。

その後、カルチュア・コンビニエンス・クラブの
取締役執行役員就任するも

2012年9月、夢の街創造委員会(現・出前館)代表取締役会長を経て、
同年11月、代表取締役社長に復帰して現在に至ります。

この間、色々な賞も数え切れないほど獲得しています。

2010年からは 大阪大学非常勤講師も務めています。

まあ、なんと目まぐるしい人生なんでしょうね。
それだけ能力が有り余っているのでしょう。

◆中村利江社長のビジネス成功の秘訣は?

好きな言葉は「艱難汝(かんなんなんじ)を玉にす」
だそうで

「失敗も苦しみも、乗り越えたあとに必ず成長できます」
と彼女は言います。

社員たちの前でも、「必ず成功するから!」と言い続け、
言葉に出していると不思議とその通りになるもので、

赤字会社出前館の社長を引き受けて、4年目になったときに
やっと黒字転換できたのだとか。

それでも出前館の社長になったばかりのときは
3日に一度は泣きたくなり、好きな赤ワインを飲んで
ストレスを発散したそうです。

そんな一面もあるのですね。ホットしました。
それでも社員の前では決して弱みを見せないとのこと。

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彼女が考えるビジネスで成功する秘訣は

「そう簡単には成功しません。たとえ100回失敗しても、
101回目での成功を目指して、どうしたら上手くいくかを考え続け、
考えるところがなくなるまでとことんやり切ることが大事なのです」

とのことです。
ふつうの人は100回失敗する前に心が折れてしまいますよね。

成功する人は成功するまでチャレンジするのですね。
成功者の多くが、やはり成功するまで諦めないと言っています。

胸にしみる重い言葉です。

◆中村利江・出前館社長の画像


   中村利江・出前館社長の画像はこちら

◆中村利江・出前館社長の資産は?

最初は月10万円の給料で働いたという中村利江社長ですが、
現在は、日本最大のデリバリー会社「出前館」の社長の給料は
そうとう高額だと思われます。

はっきりしたことはわからないのですが、

2016/10/13 の日経新聞によると

LINEが、宅配ポータルサイト「出前館」を買収し、
出前ビジネスに参入を表明したとの記事があります。

中村社長は、LINE買収により、

個人会社、(有)キトプランニング
のほぼ全株を売却して得た

23億7千万円の現金収入と

「夢の街創造委員会株式会社」の
26億8千万円以上の株資産とで

合計50億円5千万円以上の
資産を手に入れたとのこと。

中村社長は、子供の頃から両親に厳しくしつけられ
無駄遣いはしない性格だと言いますから

少なくとも、この50億円5千万円以上の資産は
減らさないで所持しているのではないでしょうか。

❖財産は若者支援のために寄付したい

中村利江社長は、いろいろなぜいたく品には興味がなく、
社会に貢献できるようなお金の使い方をしたいそうです。

現在「全国環境対策機構」という公益社団法人の理事も
務めておられて、親と離れて暮らしている子どもたちの
生活や、勉強するための資金をバックアップする仕組み
の支援をしておられます。

「お金やチャンスがないからといって、若い有能な人たち
の資質を生かせないのはもったいないので
ベンチャー企業のトップとして、できる限りのことをしたい。

将来的に私の財産は子どもには譲らず、寄付するつもりです」
とのこと。

すばらしいです。 何も言えません。

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◆中村利江社長の夫との結婚や息子について

❖中村利江社長の結婚のエピソード

中村利江社長は関西大学文学部卒業後、学生時代からの
アルバイト先であるリクルートにそのまま入社しました。

しかし入社早々、東京勤務の営業を担当させられます。

リクルートの営業は非常に大変なことを知っていた
中村社長は、辞めようかと思ったそうですが、

すぐに営業の目標数字を決められてしまったので、
目標を決められるとやらなくちゃ気がすまない性格の
彼女は、目標達成を目指してしまいます。

それに当たって、大学時代からつきあっていたご主人
が大阪にいたので、大阪に帰りたいため、

上司にお願いして、
「目標300%を達成したら大阪に
帰してやる」との約束を取り付けました。

ここからして普通の人じゃないですね。営業がうまい!!
入社早々、営業成績の目標300%なんて、考えられません。

それをなんと彼女は初年度で達成してしまったのです。

その結果、新人賞を飛び越えて、MVP賞『最優秀営業マン賞』
を受賞してしまいました。

無事に大阪に帰れた彼女は、大阪でも大活躍。
大阪社の男の人からも

「『出る杭は打たれる』っていうけど中村さんの場合、
出過ぎて打てなかったわ」と言われる程でした。

この言葉、誰が言ったのか忘れていましたが、よく聞く
言葉ですね。

こんな彼女の活躍に、旦那さんは、「「放っておいたら
一生結婚しそうにないから」と、知らない間に式の日取りまで
決めていたそうです。

本当にそうですね(笑)。

こうして無事に結婚、出産のために2年で
リクルートを退社しました。1990年のことです。

リクルートは残念だったでしょうね。

旦那さんのことは公表されていませんが、影で社長をささえる
すばらしいパートナーであることがうかがえます。

❖一人息子さんについて

仕事大好きでじっとしていられない中村利江社長が
「当時は子供ができたら会社をやめるのが当然
という風潮」だったとはいえ、

「自分で子育てをしたい」という子供が大切だと
いう思いが強かったのだと思われます。


それで、子育てをしながらでもできる
インテリアコーディネーターの資格を獲得して
インテリアの仕事を開始。

本当に仕事が好きなんですね。

それでも息子さんをいかに大事にしているかが
わかる息子さんとの2つの約束があります。

それは
1.一緒にいる時間はいっぱい話をすること
2.お弁当は必ず冷凍食品ではなく手作りすること

なんですね。
大会社の社長ともなれば、毎日手作り
のお弁当を作るだけでも大変だと思います。
それなのに、冷凍食品を一切使わないなんて、
私には考えられないです。

そんな息子さんもすくすく成長して
小学生の頃には
「なぜお母さんは課長なのにお父さんは主任なの?」
と素朴な疑問を持ったこともあるようですが、

次第に家庭の事情が理解できるようになったのでしょう。

高校生の頃の日常の話題は、
「この店は原価率が高そうだね~」なんていう商売
の話が多かったとか。

自然に教育されている感じですね。
彼もお母さんの遺伝をうけついでいるかも知れません。

しかもお小遣いは歩合制で、働き次第なので、
彼が欲しい物があるときは、家の掃除をしてくれるので
家の中がきれいになるのだそうです。

高校生のとき、会社にときどきアルバイトに来るのだけれど
働きが悪いから時給は300円程度ですって。

ちょっと安すぎじゃないですか。


働かざる者食うべからず。会社も家庭もその原理だとのこと。

うーん。すごい!!

そんな息子さんも現在は30歳ぐらいになっていると思います。

個人情報は公表されていないので、まだ活躍の情報は
見つかりませんが、将来が楽しみです。

◆まとめ

出前館の女性社長・中村利江氏について
経歴や資産、夫や息子さんについて調べました。

調べれば調べるほど、すごい人だということがわかって
圧倒されました。

バリバリ働く女性社長は、家庭が崩壊する人も多いのに、
中村利江社長は、仕事ができるだけでなく

息子さんやご主人をも大切にして温かい家庭も作って
おられることに感動しました。

まだ50歳代ですから、まだまだ走り続けることでしょう。

これからの彼女の動きを見守っていくのが楽しみです。

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